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乾徳山恵林寺


乾徳山恵林寺(けんとくさんえりんじ)は山梨県の臨済宗の代表的なお寺です。
代々国主の武田氏の絶大的な庇護を受け、
戦国時代の武田氏滅亡の後は、徳川幕府の手厚い保護を受けてきました。


三解脱門。左右の聯には快川和尚の言葉がかけられている。県文化財(提供:まさやさま)

このお寺から生まれの、全国的に有名な言葉があります。
「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」
安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火自から涼し

快川紹喜は、武田信玄の三顧の礼により、美濃から招かれた和尚です。
武田信玄の死後三年後の葬儀も大導士として執行しています。
また、信玄という勇将を失った武田氏を支えるために勝頼と織田信長の
間に入って和睦工作を試みるなど、奔走しました。

天正九年(1781)には、その名声が天皇まで届き、天親町天皇より
「大通智勝」の国師号を特賜されました。

さて、そんな快川和尚でありますが、上記の言葉はいつ言われたかといいますと、
武田家滅亡の折であります。
天正10年3月11日に武田勝頼は甲斐天目山にて自害し、
戦国大名甲斐武田氏は滅亡します。

そして、同4月3日には、恵林寺も織田軍によって攻められます。
このとき、山門楼上で炎の中、発せられたましたのが、この言葉です。
そして、百余人の僧侶と共に火定しています。

恵林寺は、全山灰になってしまうわけでありますが、快川国師の命により、
火中より脱出して栃木県の雲岩寺に身を寄せていた高弟がいました。
その高弟、末宋瑞曷禅師を同7月に甲斐に入国した徳川家康が
呼び寄せて再興を命じ、三年後に旧観しました。
その後、江戸時代には徳川幕府の特別保護寺院として寺勢を高めた行きました。


恵林寺(提供:まさやさま)

恵林寺は1330年に夢窓国師を開山として始まったのですが、
夢窓国師は、南北朝時代の七代の天皇からそれぞれ国師号を
特賜・追諡され、後世では七朝国師と尊称されています。

また、夢窓国師は造園家としても有名でありまして、
甲斐・恵林寺、京都・天竜寺と西芳寺の庭園は国師の作庭だと
伝えられています。


四脚門(慶長11年再建)。赤門とも呼ばれており、国の重要文化財(提供:まさやさま)

夢窓国師、快川国師だけを紹介しましたが、
このお寺の歴代住職は、当時の名僧と言われた人ばかりで、
それぞれ禅宗史に名高いようです。

武田信玄の菩提寺としても有名で
信玄のお墓はこのお寺にあります。

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